第一回目の〈面紐〉、前回の〈烏帽子紐〉〈天冠紐〉〈割紐〉に続く第3段は〈唐織紐〉と〈太刀紐〉を取り上げる。今回お持ちいただいたのは全部で8本。前回の紫一色とは違い、2色以上の色で編まれているものもあってとても華やか!
〈面紐〉は顔につける能面を、〈烏帽子紐〉〈天冠紐〉〈割紐〉は頭につける冠などを固定するものとしたら、〈唐織紐〉〈太刀紐〉は装束と太刀、つまり身体に身につける物を固定するための紐になる。成人男性の身体にグルグルっと巻かれるものなので、これまでの紐よりも長く、また太くがっしりと作られている印象だ。なお、紐の素材はこれまでと同じ絹糸で、組紐が使われている。
(1)唐織紐
〈唐織紐〉はその名の通り、装束の〈唐織〉を着付けるときに使用される紐のこと。唐織の他にも、〈舞絹(まいぎぬ)〉や〈厚板(あついた)〉などを壺折(つぼおり)という着方をするときにも使われる。紐の形状は丸打(まるうち/紐の断面が丸くなるように組むこと)で、紐の先は小さくまとめられているものや房になっているものなど様々な種類がある
紐の色は大きく分けて色入(赤、鬱金系統)、色無(紺、茶系統)、白の三種類で、装束に合わせて紐の色を選んでいるそうだ。無地でなくてはいけないということもないため、写真のように2色以上の糸で組まれた鮮やかなものもある。
なお、下の写真を見ていただいてもわかる通り〈唐織紐〉は通常おもてからは見えず装束の下をひそかに通っている。にもかかわらず、ちゃんとその都度装束に合った色の紐を選び使用するというところに能の美学が垣間見えるだろう。
装束をつける際は紐の中心を腰の真後ろにあて(今回お持ちいただいたものには紐の中心を示す小さな印しがついていた)、ぐるりと胴のまわりを一周させ前でしばり、余った部分は後ろにまわして結んで処理する。ちなみに、紐の長さは決まっているわけではなくモノによりまちまち。子方には子方用の短いものもあるという。
○
(2)太刀紐
〈太刀紐〉は、文字の通り太刀を固定する紐のこと。今や太刀といえば「刀剣乱舞」で大流行中だが、是非刀剣ファンにも本体だけでなく紐にも注目していただきたいところ。〈太刀紐〉は装束の上に回すため舞台でも見えることがあるだろう。紐の形状はしっかりと刀にフィットするように平打(ひらうち/紐の断面が平らになるように組むこと)になっている。
〈太刀紐〉の付け方は、まず鞘部分の2ヶ所(帯取りとよばれるものの下あたり)にしっかり巻き付けるようにして結び、その紐の両側を腰にぐるりと回し、太刀が自身の左側にくるようにつける。紐は長く一本だが、〈唐織紐〉の場合と違い紐をかける際は写真のように左右異なった長さで固定する。これは刀を左側に履き、紐をぐるりと胴にまわした際に腰の右側で結び目が出来るように調節するため。
下の写真は、今回お持ちいただいた二種類の〈太刀紐〉を並べたもの。上のチョコミントのような色の方は谷本さんが新調した〈太刀紐〉で、手触りはしっかり固めに組んであるような印象だった。下の紐は使い込まれていて、しっかりと組んであるもののやはり年月を経てこなれた手触りと色合いになっていた。
〈太刀紐〉の色については、特に明確な決まりがあるわけではない。今回お持ちいただいたものはたまたまカラフルだったが、柄がなくても全くもってOKとのこと。ただ、老武者の時にあまりピカピカで鮮やかな物を使用するというのでは合わないので、やはり曲によってある程度の範囲というのはあるのだそうだ。
○
この〈太刀紐〉をはじめ、今回の取材で紹介された紐類のいくつかは谷本さんの私物。「これらは一体どこで手に入れるの?」……という質問に、谷本さんがご自身でよく組紐を注文されているというお店を教えて下さった。東京の東久留米市にある「柏屋」さん、江戸時代から組紐や房を製作する工房だ。今は職人の江口裕之さんが跡を継いでいて、自宅作業所内でひとつひとつ手作業で作られる製品は、能装束をはじめ歌舞伎や日本舞踊の衣裳など伝統芸能の世界で広く使用されている。店舗での小売りはしておらず、すべての製品は注文を受けてからの受注製作。何度も話し合いを重ね、依頼主のリクエストに丁寧に応えながら、専用の道具と江口さんの熟練した技で渾身の一本を作り上げる。
「組紐をはじめ数珠の房や腰簑など、江口さんの作られる物には妥協が一切ありません。例えば面紐一本作るにも、色合い、紐を組む強さ、紐の太さなどこちらの要望を事細かに聞いて下さいますし、またご自身でも勉強なさった上で作業にとりかかっておられます。そうして作っていただいたものですから私も安心して使わせていただけますし、使う際に自然と〝大切に使おう〟と言う心持ちにもなりますね。能装束や小道具を作られる職人さんのひとりとして、江口さんは我々にとって大変貴重な方です。これからも大切にお付き合いさせていただきたいと思っています。」(谷本さん談)
能狂言に限らず伝統芸能は代々受け継がれてきた技によって支えられていて、それは人から人へ伝えられていく。今回取材した紐類など装束に関連する道具はもちろん、謡本や扇、足袋、楽器など、能を作り上げているひとつひとつには専門的技術と知識、歴史がしっかり刻み込まれている。改めてその部分に目を向けてみた時、何か新しい発見があるかもしれない。
○
▼能楽や歌舞伎などの伝統芸能で使われる道具類の復元や研究などの活動を行っている田村民子さんのサイト「伝統芸能道具ラボ」には、江口裕之さんのインタビューが掲載されています。仕事場の様子などが詳しく掲載されていますので是非ご覧ください。
http://www.dogulab.com/activity/kn-6/2-2.html
監修/谷本健吾(シテ方観世流)
協力/銕仙会、江口裕之(柏屋)、田村民子(伝統芸能道具ラボ)
舞台写真撮影/駒井壮介
谷本健吾氏
シテ方観世流。銕仙会所属。昭和50(1975)年生。谷本正鉦の孫。祖父および八世観世銕之亟、九世観世銕之丞に師事。昭和55年「鞍馬天狗・花見」で初舞台。「千歳」、「石橋」、「猩々乱」、「道成寺」を披く。『煌ノ会』、『瑠璃の会』、『三人の会』、『鉦交会』主宰。国士舘大学21世紀アジア学部非常勤講師、明星大学人文学部非常勤講師。好きな食べ物は甘いものとお寿司。
【出演情報】
2016年
5月28日(土)「能楽妄想ナイト」(荻窪・6次元カフェ)
6月25日(土)「望月」(三人の会/国立能楽堂)
9月28日(水)「松虫」(青山能/銕仙会能楽研修所)