「能」に欠かせない能面。白式尉(翁)、小面、般若、獅子口……男・女はもちろん、鬼や精霊、霊獣などその種類は多岐にわたる。能を演じる時、シテは基本的に能面をつける(現在能などでは素顔=直面で演じられるものもある)。その曲毎にどの能面を使うかというのは大まかに決められてはいるものの、同じ曲でも例えば「井筒」の場合は小面、若女、増女、深井などから、その時々でシテや師匠が使用面を決めていく。
能面の材質は木(檜を使うことが多い)で、表面には彩色が施され、能に使われる道具の中では最も繊細なもののひとつ。能面は普段、面袋に入れた上桐の箱や箪笥の中に大切にしまわれ保管されているが、公演の際などはその会場へ持って行かねばならず、その持ち運びに欠かせないのがこの〈面かばん〉だ。
〈面かばん〉の大きさには色々ある。今回、谷本さんにお持ちいただいたのは私物も合わせて4種類で、一番大きなものはスイカがまるまる入るほど(!)のサイズ。革製とジュラルミン製とあり、どちらもみるからに頑丈で、鍵で厳重に守られている。
写真左上/今回お持ちいただいた中で一番大きいもの(銕仙会所蔵)。奥行きのある内部は別珍のクロス張りになっており、かなり使い込まれた様子。
写真右上/今回お持ちいただいた中で、唯一上部が観音開きになっている鞄。医者の診察鞄を連想させる。
写真左下/谷本さんが書生中に〈面かばん〉を散々探し求め、徒労のあげくたまたま入った青山の銕仙会目の前にあるブランドショップで見付けたという一品。プラダです。
写真右下/ジュラルミン製トランクで有名なリモア社のもの。これを面かばんとして使用している方は多いらしい。
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そもそも、この〈面かばん〉だが、どれも〈面かばん〉として売り出されているものではない。いわゆる化粧品を収納するビューティーケースが大きさとしてピッタリであるため、それを〈面かばん〉としていることが多いのだとか。海外公演に行った際などに求めてくるという。また、同様の大きさの小鼓用のかばんで代用する場合もある。
「以前、映画『SEX AND THE CITY2』で主人公たちがドバイ旅行に行くシーンがあって、そこで誰かが持っていた鞄が〈面かばん〉にピッタリだなと思って……あれはどこのものなのだろうと、映画を見ながらそればかり気になっちゃいました(笑)」(谷本さん談)。
収納時はこの写真ように能面を丁寧に包み水平に積み重ねて持ち運ぶ。
能面を持ち運ぶ際、一番注意しなくてはいけないのは角のある般若。一番大きくて幅をとるのは「大会(だいえ)」に使う釈迦の能面。この釈迦は、原則的に釈迦下(しゃかした)の大癋見(おおべしみ)とセットで持ち運ぶのだが、水平にした際の高さがあるため大きなサイズの〈面かばん〉でないと入らないという(※ちなみに、写真のかばんの場合、女面であればマックス5面ほど入るそうだ)。
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これは、谷本さんが〈面かばん〉に必ず入れているという必需品セット。能面をつける際に使用する面紐のほか、元結、半紙。つい忘れてしまった時のためにいつもかばんの中に入れてあるとのこと。
このほか、〈面かばん〉は面だけでなく、天冠(てんがん)などの小物の持ち運びにも使用される。
能の命ともいえる能面を大切に運ぶ〈面かばん〉。日本全国だけでなく、海外での公演も増えている今、能楽師になくてはならない必需品だ。
協力/公益社団法人 銕仙会
監修/シテ方観世流 谷本健吾
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▼能楽師のみなさんがお使いになる〈能の必需品〉を紹介するこのシリーズは、シテ方観世流能楽師の谷本健吾さんにご協力いただき更新して参ります。能面や能装束に造詣の深い谷本さんに、実演者ならではの視点で観客がなかなか目にすることの出来ない必需品を解説していただきます。(写真と文/編集部)
※次回の必需品は、能装束や能面、道具などに多用される〈紐類〉を予定。
谷本健吾氏
シテ方観世流。銕仙会所属。昭和50(1975)年生。谷本正鉦の孫。祖父および八世観世銕之亟、九世観世銕之丞に師事。昭和55年「鞍馬天狗・花見」で初舞台。「千歳」、「石橋」、「猩々乱」、「道成寺」を披く。『煌ノ会』、『鉦交会』主宰。国士舘大学21世紀アジア学部非常勤講師、明星大学人文学部非常勤講師。好きな食べ物は甘いものとお寿司。
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【出演情報】
12月5日(土)「葵上・梓之出・空之祈」(瑠璃の会/銕仙会能楽研修所)
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